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* Dolceamaro *

「うわぁ〜、ホントに建てちゃったんだ…」
10月最後の日、並盛商店街の外れに新しく建てられた喫茶店を前にして、ツナは目をまんまるにしながら感嘆の息を漏らした。
今を遡ること5ヶ月前。
マフィアのボスたるものファミリーの維持や発展のための経営スキルを身につける必要があると、そのための修行としてイタリアスタイルの喫茶店―バールの経営を実際にやってもらうぞとリボーンに言われたことが思い出される。
いつものようにボスになんてならないから、喫茶店の経営をするなんてあり得ないと拒否し、その後もその話題が出る度にハイハイと流していたのだが、今朝休日の睡眠を貪っているところを叩き起こされ、引き摺るようにここまで連れて来られ、出来立てピカピカのお店を前にしてようやく本気だったのかと、リボーンの相変わらずの無茶振りにただただ呆然とするしかなかった。
「いよぉ、ツナ。何呆けてるんだ?」
「わわっ!? ディーノさん!」
耳に恋しい声と共に不意に後ろから抱き締められ、思わず声を上げてしまう。
振り向くと、白いシャツに緑のタイ、そしてタイと同じ緑色のカフェエプロンを身に纏ったディーノがそこに立っていた。
いつもと違うその姿に自然と頬が赤らみ、つい見とれてしまう。
「おいおい、さっきからぼーっとしてるけど、明日オープンなのに大丈夫か? リボーンから聞いてるんだろ?」
「え!? あ、あの、その…一応、リボーンからちょくちょく言われてはいたんですけど、まさかホントにやるとは思ってなくて、ちゃんと聞いてなかったっていうか…」
「あー…やっぱり」
心配そうに覗き込まれ、顔が更に赤くなるのを感じながらしどろもどろに答えると、ディーノは頬を掻きながら苦笑いを浮かべた。
「オレはリボーンから、ツナをビックリさせたいから共同経営のことは黙ってろって口止めされてて変だなーとは思ってたんだけど、そういうことだったか」
「共同経営?」
「あぁ。最初はツナのファミリーだけでやらせるつもりだったみてーだけど、子供ばっかりじゃ不安や問題があるし、オレと一緒ならツナもやる気出すだろうからって、ボンゴレとキャバッローネで共同経営することになったんだ」
「え? え?」
「店の名前…バール・デーチモデーチモって、『ボンゴレ10代目とキャバッローネ10代目が経営する喫茶店』って意味なんだぜ」
「ええーーっ!?」
嬉しそうに店の名前を口にしニカッと笑うディーノに、ようやく状況を理解したツナは素っ頓狂な叫び声を上げる。
確かに、自分だけなら全くやる気はないし、冗談じゃないと断固拒否しているところだが、ディーノが一緒だと分かった以上断れない。
リボーンの手の上で踊らされている感があって何となく釈然としなかったが、ディーノと一緒に何かやれることが嬉しくなってきているのも事実だった。
「ハハ、その調子じゃほとんど事情を知らないみてーだな。とりあえず入れよ。詳しいこといろいろ教えてやっから」
「は、はい! あ、そういえばリボーンは?」
ディーノの後について店の中に入ろうとしたところで、ついさっきまで側にいたはずのリボーンの姿が見えなくなっていることに気付き、キョロキョロと辺りを見回す。
「リボーンならロマーリオと一緒にコーヒー豆の仕入れに行ったぜ。もう準備は全部整ってて後は明日のオープンを待つだけなんだけど、あいつらコーヒーにはうるさいからなぁ…もっといい豆ゲットしてくるって行っちまったよ」
ディーノは苦笑いを浮かべながら『CLOSED』の札がかかったドアに手をかけ、中に入るよう促した。

「わぁ…」
一歩足を踏み入れると、そこには自分の想像する喫茶店とは全く違った大人のお洒落な空間が広がっていて、思わず溜息が漏れる。
何だか場違いなところに来てしまったような気がして立ち尽くしていると、ポンと肩に温かい手が置かれた。
「スゲーだろ。これがオレたちの店なんだぜ。まぁ、オレたちの店っつっても実際にコーヒー淹れたり料理作ったりすんのはウチの奴らがやることになってるし、オレらは時間ある時に軽く接客しつつ、店の経営状態を見ていくのがメインだからな。経営のことはオレがみっちり教えてやっから任せとけ!」
「はい。よろしくお願いしますね、ディーノさん」
ディーノに笑顔でそう言われると、その存在を強く感じると、不安やマイナス思考なんて一気に吹き飛んでしまう。
笑顔で応えると、ディーノはうんうんと頷きながら頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。
「そんじゃ店のこと教える前に、そこ座れよ。ツナにご馳走したいモンがあるんだ」
「ご馳走したいもの?」
指し示されたカウンター席の背の高い椅子によいしょと腰を掛けると、ディーノはカウンターの中に入り何やらマシンを弄り始める。
「おわっ!?」
途端、ブシューと湯気が噴き出し、ディーノの驚きの声にツナの体がビクッと跳ねた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あちち…だ、大丈夫だぜ。ちょーっとミスッちまったが、ロマーリオに特訓してもらったからな。すぐだから、楽しみに待っててくれよ」
「は、はぁ…」
特訓してもらったと言っても、今はそのロマーリオも他の部下も誰もいない。
部下が側にいない状態ではまた何かやらかしてしまうのは火を見るよりも明らかだったが、自分にご馳走したいと一生懸命になっているディーノに水を差すようなことは言えなかった。

ハラハラしながら待つこと30分。
目の前に出されたのは、大き目のマグカップ。
イタリア国旗を示すトリコロールカラーの円を縁取るブラウン枠に二つのファミリー名が上下に入っており、中央に店の名前が書かれたシンプルなロゴをあしらったものだった。
中身はディーノが悪戦苦闘しながら淹れてくれたカプチーノ。
表面のミルクの泡には辛うじてハートに見えるものが茶色の線で描かれていた。
「スマン、ツナ。待たせた上にこんなモンしか出せなくて…」
「い、いえ、ディーノさんが火傷しなくてよかったです」
どんよりしているディーノに、部下がいないんじゃしょうがないと内心で思いつつフォローを入れる。
部下がいない状態で火傷をしなかっただけでもありがたい。
「ロマーリオには『もう教えることは何もねぇ。オレより上手いんじゃねーか?』なんて言われてたのになぁ…今日スゲー調子悪いみたいだ。ホントにスマン!」
「そんな謝らないで下さいよー! ディーノさんが淹れたコーヒーご馳走してもらえて、すっごく嬉しいです」
「あんがとな、ツナ。ツナにそう言ってもらえたなら特訓の甲斐があったぜ。バールを共同経営するって決まった時、ツナにはオレが淹れたコーヒー、一番に飲んでもらいたかったんだ。ハートマーク描くのはツナにだけって決めてたから、綺麗に描けなくてちょっと悔しいけど」
「ディーノさん…」
「へなちょこな出来で申し訳ないが、冷めちまったら味までへなちょこになっちまうから飲んでくれよ。あ、そうだ。砂糖入れないとキツいよな。砂糖どこだったかな…」
「あ、いえ、オレ…このままで!」
「えっ!?」
ディーノが砂糖を用意してくれるのを待たずにカップを両手で持つと、それを口に運んだ。
コク、と一口含むと、口の中いっぱいに苦味が広がる。
「苦…」
「カプチーノだからミルク入ってるけど、普通のコーヒーより苦いぜ。ほら、無理しないで砂糖入れて飲めよ」
ディーノが心配そうに言いながらシュガーポットを出してくれるが、ふるふると首を横に振り、もう一口含んだ。
「苦い…けど、お砂糖入れて掻き混ぜちゃったら、ディーノさんが描いてくれたハート、崩しちゃうから…」
ディーノの想いがたっぷりと込められたカプチーノ。
苦くても、味もハートマークもそのまま味わいたかった。
三口目を口に含もうとしたところで不意にディーノの手が頬に伸ばされ、唇に柔らかいものが触れる。
僅かに開いた唇から熱い舌が入り込んできて、口内に残る苦味を舐め取り、すぐに離れていった。
「苦いの、もう大丈夫か?」
「は、はい…」
「ツナ…明日からオレたちの店、一緒に頑張ろうな」
「はい!」
コツンと額と額が重なり、互いに微笑み合う。
まだ少し口の中がほろ苦かったけれど、ディーノの優しいキスがトッピングされて、甘く幸せな味になった。