BACK

* 22 舌 *

「結局今回もワンパターンになっちまったなぁ」
夜も更け、日付が変わろうとしている頃。
ヴァリアー・アジト最上階に位置する部屋へと続く廊下に、独り言というには大きめな声と靴音が響いてくる。
靴音と声の主は、スクアーロ。
彼は黒のハイネックロングTシャツに白のパンツといったシンプルな出で立ちで、風呂上りなのか全身から仄かに石鹸の香りを漂わせていた。
「けどまぁ、今年はゆっくり祝えそうで何よりだぜぇ。去年はそれどころじゃなかったからなぁ」
スクアーロは歩を進めながら呟くと、視線を自身の左手へと落とす。
その手に大事そうに抱えられているのは、一本のウイスキーボトル。

Buon compleanno
XANXUS
XXXX.10.10

そう刻印されたボトルを見つめながら、スクアーロは幸せを噛み締めるようにニッと笑った。



白蘭率いるミルフィオーレとの戦いから一年余り。
沢田綱吉達が戻っていった過去の世界がどんな道を進んでいるのか知る由も無いが、この世界はかつての日常を取り戻しつつあった。
そして今夜間もなく、スクアーロにとって大切な日の一つ――ザンザスの誕生日を迎えようとしている。
当の本人は「誕生日なんてくだらねぇ」などと口にしていたが、日付が変わる時間きっかりに部屋に来るようスクアーロを呼びつけるあたり、本心は別のところにあるのだろう。
スクアーロは素直じゃねぇなぁと呆れつつも、ザンザスのそんな不器用なところが堪らなく愛しかった。



「シャワーと着替えに時間食っちまったが、何とか間に合いそうだぜぇ」
ザンザスの待つ部屋が近付くにつれ、自然と足が速まる。
目指すドアの前に辿り着くと、スクアーロはノックをするのももどかしげに扉を開いた。
「う゛お゛ぉい!! 時間通り来てやったぞぉ! 誕生日おめでとうなぁ、ボスさ……ん゛ん?」
勢いよく室内に踏み込んだはいいが、入ってすぐのところに部屋の主の姿は見当たらなかった。
「居ねぇ……もうベッドのほうに行ってやがるのかぁ?」
てっきりソファーにでも寝そべって、酒でも飲んでいるかと思っていたのに。
いきなり出鼻を挫かれたスクアーロは空のソファーを見つめながら軽く溜息をつくと、その奥の寝室へと続くドアのノブに手を掛けた。
「う゛お゛ぉい、ザンザス!! 誕生……」
「るせぇっ、二度も言わなくても聞こえてる」
「ぐっ……」
気を取り直して、もう一度。
そう思って発した言葉は途中でザンザスに遮られてしまい、続きは口に出す前に飲み込む羽目となってしまった。
(こんのクソボスがぁ! 誕生祝いくらいちゃんと言わせろぉ!!)
スクアーロは押し黙りながらも腑に落ちず、胸を肌蹴た赤錆色のシャツ姿でベッドに横たわるザンザスを睨みつけた。
だがザンザスは気にした様子もなく、淡々とウイスキーを口にしている。
祝わせる気も祝われる気もないなら、いっそこのまま帰ってやろうか。
一瞬そんな思いが頭を過ぎるが、ザンザスが手にしているグラスがいつものものではないことに気付いてハッとする。
(あのウイスキーグラス、オレが前に誕生日プレゼントであげたヤツじゃねぇか!!)
そういえば、いつもなら怒声と共にグラスが飛んでくるのだが、今日はそれがなかった。
(コイツはコイツなりに誕生日、意識してくれてんだなぁ……)
もう一度、チラッとザンザスの手元のグラスを見やる。
苛立ちはいつの間にか霧消しており、代わりに照れくさいような嬉しさに胸を擽られた。
スクアーロは沈黙の間を誤魔化すように頬を掻くと、相も変わらずウイスキーを口に運ぶザンザスに歩み寄る。
そして抱えていたウイスキーボトルをずいっと、押し付けるように差し出した。
「ほらよぉ、毎年代わり映えしねぇプレゼントですまねぇけどなぁ」
「……」
ザンザスは無言でスクアーロを一瞥すると、その視線をウイスキーボトルへと向ける。
紅い眼がゆっくりとラベルの文字を追っていくのを見守っていると、この日の為に特別に刻印されたメッセージの部分に差し掛かったところで、僅かだが瞳の奥が輝きを増したように見えた。
今年のプレゼントは気に入ってもらえたのだろうか?
心臓の音がやけにうるさく聞こえるのを感じながら、顔を覗き込む。
だがザンザスはすぐに瞼を伏せると、近付いてきたスクアーロの顔を振り払うようにウイスキーの残りを一気に煽った。
サッと頭を引きつつも往生際悪く見つめていると、一刻の間を置いてザンザスが鬱陶しげに口を開く。
「生まれ年のヴィンテージ・ウイスキーか……悪くねぇ」
不機嫌そうな表情とは裏腹に、その声はいつもより少しだけ優しい響きを持っていて。
メッセージには触れられなくともそれだけで十分嬉しくて、スクアーロは頬に薄く朱を浮かべると、ほっとした幸せそうな表情で笑みを零した。
「気に入ってもらえたなら、よかったぜぇ」
「……」
それを横目で見ていたザンザスの頬にも、薄らと朱が走る。
刹那、二人の間に甘い空気が漂いかけるが、それは直後に突然スクアーロが張り上げた大声によってぶち壊されてしまった。
「ん゛ん? う゛お゛ぉい! 何だありゃあ!?」
「あぁ?」
ふと視界の端にあるものを見とめたらしい。
スクアーロはバッと顔を横に向け、そちらに目を据えた。
ザンザスの顔が一転して不快を露にするが、スクアーロは気付かずベッドの側のナイトテーブルに一歩近付く。
驚きに丸くなったその目の先には、足と取っ手の付いた、繊細な細工が施されているアンティークシルバーのケーキプレートが置かれていた。
銀の円の中央に鎮座するのは、淡い琥珀色のクリームで格子状にデコレーションされ、コーヒービーンズがトッピングされているスクエア型ケーキ。
傍らには、ご丁寧にフォークが二本添えられている。
ちょこんと乗っているハートの形のチョコプレートには、ホワイトチョコでザンザスへの誕生祝いのメッセージが綴られていた。
「このケーキ、どうしたんだぁ?」
手にしたままだったウイスキーボトルをナイトテーブルの隅に置くと、スクアーロはそれをまるで物珍しいものでも見るかのように、まじまじと見つめる。
一向にケーキから目を離す様子のないスクアーロに低く舌打ちすると、ザンザスは空のグラスをボトルの脇に置きながら、苛ただしげに答えた。
「さっきルッスーリアが無理矢理置いていきやがった。甘いモンは食わねぇっつってるのによ」
「あぁ、アイツが作って持って来たのかぁ」
そういえば、何日か前に最高級のエスプレッソリキュールが手に入ったとか何とか嬉しげに語っていたような覚えがある。
そんなことを思い出しながら、スクアーロは再びチョコプレートの文字に目を向けた。
「誕生日なんだし、今日くらいはケーキも大目に見てやれぇ。アイツのことだからボスさん向けに甘さ控えめで作ってあんじゃねぇかぁ?」
「控えめっつっても甘いことに変わりねぇだろうが」
「それはそうだけどよぉ、でもこれ、すげぇ美味そうだぜぇ……ん゛ー、この匂いはモカクリームかぁ?」
不貞腐れたように呟くザンザスを余所に、スクアーロはケーキに顔を近付けくんくんと鼻を鳴らす。
コーヒーのほろ苦い香りと、リキュールの芳香と、クリームの甘やかな匂い。
それらが交じり合って、鼻腔を柔らかく刺激する。
ザンザスと同じく普段あまり甘い物を口にしないのだが、パスティッチェーレ顔負けのドルチェに思わず唾がじわぁっと沸いてきた。
「な、なぁ、ボスさんよぉ……これ、食わねぇのかぁ?」
「食わねぇ」
ようやくスクアーロは顔を戻すと、待てをされた犬のようにうずうずした目で持ち掛ける。
ザンザスはそれを間髪入れずにばっさり切り捨てた。
どうやら先程から別の『モノ』を食したくてジリジリしているようだ。
しかしスクアーロはザンザスがそこまで焦れているなんて露程にも気付かず、詰め寄るように食い下がる。
「でもよぉ、誕生日なんだし一口くらい……」
「甘いモンは好きじゃねぇっつってるだろうが。つか、てめーが食いたいだけなんじゃねーの?」
「う゛っ」
言葉の途中でジトッとした眼差しを向けられ、それまでザンザスとケーキにチラチラと視線を交互させていたスクアーロの表情と動きがピシッと石のように固まる。
だがすぐに復活し、図星バレバレの真っ赤な顔で喚き始めた。
「う゛……う゛お゛ぉい! いくら何でも人のバースデーケーキ食いたがるほどオレは意地汚くねぇぞぉお!! オ、オレはただ、このまま置いといたら折角のケーキが乾いてパッサパサになっちまうかと思ってだなぁ……◎△$♪×¥●&%#?!」
「るせぇっ」
ドゴォッ!!
「う゛ぉっ!?」
今日くらいは、と堪えていたようだが、遂に我慢の限界を超えたらしい。
ぎゃあぎゃあ捲し立てるスクアーロの額に、ザンザスの本気の頭突きが炸裂した。
「世間一般のカップルじゃあるめーし、ちんたらケーキなんざ食ってられるか、ドカスが」
「う゛お゛……ぉい……」
その場に膝をつき、額を押さえて呻いているスクアーロを一瞥すると、ザンザスは心底くだらなさそうに溜息を吐き出す。
「何故オレがてめーを呼んだか、分かってねぇようだな」
「……い、いや、分かってるけどよぉ」
赤くなってしまった額を擦りながら、今度はスクアーロが溜息を零した。
ザンザスが何を欲しているかなんて百も承知だが、今日は年に一度の特別な日だ。
ただ互いを求め、貪り合うだけではいつもと変わらない。
美味そうなケーキについ惹かれてしまったというのも事実だが、去年落ち着いて祝えなかった分、今年はちゃんとお祝いしたいという気持ちもあったのだ。
「……ったく、相変わらず性急なヤツだぁ」
スクアーロの口から、再度溜息が零れる。
それと一緒にうっかり漏れ出てしまった心の声に、ザンザスが目敏くピクッと反応した。
「何……だと……?」
「!?」
ギクッと慌てて口を塞ぐが時既に遅く、ザンザスの背後に怒りのオーラが立ち昇る。
スクアーロは身に危機を感じ、冷や汗を垂らしながらじりじりと後退った。
「そんなに食いてーっつーなら……」
逃さんとばかりに、ザンザスの手がケーキプレートに掛けられる。
「う゛ぉい、ちょ、待てぇっ!」
来る!
そう直感したスクアーロは咄嗟に両手で顔面を庇うように身構えた。
「っ!! …………ん゛ん?」
キュッと目を瞑るが、予想していた衝撃はいつまで経っても訪れない。
恐る恐る目を開き、構えた腕の脇からそーっと覗いてみると、怒りのオーラはいつの間にかどこかへと消え失せ、それを発していた張本人はふと何かを思いついたような顔で動きを止めていた。
「ザ、ザンザス?」
用心のために構えは解かぬままでおずおずと声を掛けるが、返事はない。
そのまま窺っていると、ザンザスはしばし思案に耽るような仕草をした後、ケーキプレートから手を引きつつおもむろに口を開いた。
「おい、カスザメ」
「な、何だぁ?」
「そんなに言うなら食ってやってもいい」
「え゛!? 急に何言っ……」
「ただし、てめーが食わせてくれるなら、の話だがな」
「な゛っ……」
頭突きの一撃よりも衝撃的なその一言に、スクアーロはずっと構えていた腕を崩し、まるで雷にでも打たれたかのように呆然と硬直する。
ややあって。
「く、食わせてくれるならって……」
スクアーロは正気を取り戻すと、まだ動揺の残る声で問い掛けた。
「それって、まさか……」
「いちいち言わなきゃ分かんねーのか? てめーがオレに食わせろっつってんだよ。ごちゃごちゃ言ってねーでさっさとしやがれ」
「!?」
聞き違えたかと思っていたのだが、ザンザスの返答にそれは間違いではないと知らされる。
(マ、マジかよぉ……)
ザンザスが求めている行為を想像し、頬がかぁぁっと赤らんだ。
本気なんだろうか? 油断させるためのフェイクの可能性も大いにある。
どうにも信じ難くて、チラッと窺うようにザンザスを見た。
それを受けたザンザスは嘲笑うようにククッと低い笑みを漏らす。
「ドカスが、たかがあれしきのことで何照れてやがる」
「あれしきって……ザンザス、お前……」
その言葉と表情の中にザンザスの本気を見て、スクアーロの頬がますます色味を深めた。
(じゃ、じゃあ、さっきまで頑なに食わねぇっつってたのは照れてたからで……頭突きは、照れ隠し……)
ザンザスが照れている、というのは完全な勘違いであったが、思い込みに陥ってしまったスクアーロにとって、もはや真実など無意味であった。
(ザンザスの望みとあらば、叶えないわけにはいかねぇ!!)
ケーキを食べさせてあげるなんてこっぱずかしいこと本来なら御免だが、ザンザスの為なら……と、スクアーロは羞恥を振り払って覚悟を決めた。
「わ、分かった、やるぞぉ!」
そう叫んで立ち上がるとナイトテーブルの前に進み、フォークでケーキを一口分切り分ける。
そしてそれを零さぬように、震える手でそーっとザンザスの口元へと運んでいった。
だがザンザスはフォークの先に刺さったケーキをギッと睨みつけただけで、口を開こうとしない。
(なっ、何でだぁ!? 何で口を開けてくれねぇんだぁ!?)
どういうことだと狼狽しかけて、はたと気付く。
このシチュエーションに必要不可欠な、ある言葉が欠けていたということに。
(あ、あの言葉を言わなきゃダメなのかぁ!?)
スクアーロは大いに動揺した。
試しにその言葉を頭の中で呟いてみて、あまりの恥ずかしさに悶絶する。
しかし、ザンザスが口を開かないことで却下を示している以上、それをやるしか道はない。
(完璧じゃなけりゃ許さねぇってことかぁ……流石ボスさんだぜぇ)
ザンザスへの畏敬の念を抱きながらゴクリと唾を飲み込むと、スクアーロはもう一度フォークを差し出し、何とかその言葉を喉から絞り出した。
「………………あ゛、あ゛ーん」
「………………」
静かな部屋に響いたのは、スクアーロにしてはあり得ないほど小さい、蚊の鳴くような声。
やっとの思いで発したのに、ザンザスの口は依然として閉ざされたままだった。
それどころか、肩が怒りでわなわなと打ち震え始めている。
一方スクアーロは、ザンザスの様子など目に入らないくらいの途轍もない羞恥に、フォークを持つ手をブルブル震わせていた。
(こっ……これは予想以上に恥ずいぜぇ!! ヘタな淫語プレイより壮絶だぁ!!)
のた打ち回りそうになるのを必死に抑えながら、ギリッと唇を噛み締める。
心の中ではあまりの恥ずかしさに血涙が滝のように溢れ出していた。
全てを放り出してこの場から逃げ去りたい。
そんな衝動に襲われるが、ザンザスの望みを叶えたいという想いがスクアーロの足をこの場に留めさせた。
(そうかぁ……もっとでけぇ声で言わなきゃ認めねぇと、お前はそう言うんだなぁ!? ならば見さらせぇ! これがお前に一生ついていくと決めたオレの、本気の覚悟だぁあ!!)
勘違いは爆走どころか暴走の一途を突き進んでしまったようだ。
スクアーロはくわっと目を見開くと、渾身の勇気を振り絞って叫んだ。
「あ゛っ……あ゛ーんっ!!」
「………………」
「はいっ、あ゛ーん!!」
「………………」
「あ゛ーんしてぇえ!!」
「………………」
雄叫びにも似た声だけが、室内に虚しく響く。
(クッ……これでもまだダメなのかぁ!?)
「…………で」
「!」
心が折れかけたその時、ずっと固く閉ざされていた唇が薄く開かれ、スクアーロの顔に喜びと安堵の表情が浮かぶ。
しかし、それも束の間。
「出来るかぁ!!」
「う゛お゛ぉぉっ!?」
怒声と共にザンザスの腕が伸びてきて、ガシィッと頭を鷲掴みにされてしまった。
「てめーはほんっっっとうに分かってねーな!」
「え゛? え゛ぇ!?」
鬼の形相で凄まれ、スクアーロはたじろぎながら目をパチクリと瞬かせる。
『ケーキを“あーん”して食べさせろ』
それが望みなのだと、そう思い込んでいるスクアーロは何故こんなにもザンザスが怒っているのか分からず、顔の周りに疑問符をいくつも浮かべていた。
そんなスクアーロの様子にザンザスはますます怒りを募らせ、こめかみをピクピクと引き攣らせる。
「オレがんなことするワケねーだろうが、ドカスが」
ギリッ、と頭を掴む手に力が込められ、キョトンとしていたスクアーロの表情に戦慄が走る。
いつものパターンからすれば、ケーキに強制顔面ダイブ一択。
それしか考えられない。
これからくるであろう衝撃に小さく身を竦ませていると、予想に反してザンザスは引き寄せたケーキプレートに自らの顔を近付け、ビターな香り漂うそれにガブリと直接齧り付いた。
「なっ…………ん゛ぅっ!?」
余りの予想外の出来事にぽかんとしていると、ザンザスが咥えたケーキの一片ごと、いきなり口付けてきた。
カランッ
不意打ちのキスを仕掛けられたスクアーロの手から、フォークが滑り落ちて無機質な音を立てる。
その音に一瞬気を取られるが、合わさった唇の隙間から入り込んできた甘味によって意識はすぐにそちらへと向けさせられた。
「ん゛っ……う……」
口内に押し込まれたケーキの欠片は舌の上にポトリと落ちて、エスプレッソ特有のコクと風味を広げながらゆっくりと溶けていく。
ザンザスの口に合うようにかなりリキュールを効かせてあるのか、甘さが通り過ぎた後には芳醇な苦みが残り、僅かに舌を痺れさせた。
ベルとマーモンがこれをつまみ食いしたら、大人の味過ぎてブーイングを起こしそうだ。
そんなことを思いながら、舌の上に残ったスポンジ部分を唾液と共にゴクリと飲み込むと、ザンザスの唇がスッと離れていくのを感じた。
いつの間にか閉じていた目をハッと開くと、目の前にあるクリームまみれの唇が呆れたような声を紡ぐ。
「ドカスが、こうすりゃてめーも食えるだろうが」
「!?」
ここに至ってようやっと、「てめーが食わせてくれるなら」の本当の意味を理解し、スクアーロは時が止まったかのように固まってしまった。
頭の中真っ白状態で思考不能に陥っていると、唇についたクリームを舐めながらその様を見つめていたザンザスが、追い打ちをかけるように呟く。
「何が『あーん』だ。恥ずかしいヤツめ」
「〜〜〜〜〜っ!!」
瞬間、スクアーロの白い肌が沸騰したように一気に赤く染まる。
次いで、頭から湯気をぶしゅーっと噴出させると、今にも噛み付かんばかりの形相で怒鳴り声を上げた。
「それならそうと、最初っから素直に言いやがれぇ!!」
間髪入れず、ザンザスの手からケーキプレートをひったくる様に奪う。
そして自分も同じように直に齧り付くと、ケーキ片を咥えたままの唇をザンザスのそれにぶちゅぅっと押し付けた。
振り回されたお返し、とばかりに甘い塊を舌でザンザスの口内におもいっきり押し込んでやると、唇の間から小さく呻き声が漏れる。
一矢報えて少しだけ胸のすく思いがするのを感じながら唇を離すと、突如後頭部に手が回され、グイッと引き戻されてしまった。
「ん゛っ」
ぶつかるように唇が重なる。
その拍子に開いた少しの隙間から、ケーキの成れの果てともいうべきものがザンザスの舌を伝って流し込まれてきた。
「ん゛ぐっ……ん゛、んん……」
ドロリとした食感に、スクアーロは眉を顰める。
しかし、その中に潜むザンザスの唾液の味を舌が鋭敏に感じ取った瞬間、純度の高いアルコールを口に含んだように体の奥がカッと燃え上がった。
(こんなきったねぇことされてんのに……オレ、何で……)
困惑するが、舌は勝手にケーキだったものをんく、んく、と少しずつ嚥下していく。
半固体の甘いものが喉を通り過ぎる度に体はどんどんと熱を帯びていき、先程までの怒りを忘れさせるほどに頭の芯を痺れさせた。
最後の一欠片までゴクンと飲み下すと、それまで口を塞いでいたザンザスの唇がそっと離される。
スクアーロは薄らと瞼を上げると、酔ったようにとろんとした目になり吐息を漏らし、遠ざかっていく唇を追ってもう一度、今度は優しく触れるように口付けた。
「んっ……ん゛、ハァ……」
ちゅ、ちゅっと唇の表面についたクリームを啄むように何度か触れた後、舌を出して口の周りも丁寧に拭っていく。
クリームが綺麗に取れた後もペチャペチャと口元を舐め続けるスクアーロは、何だかエロティックというよりはお腹を空かせた犬のようで、ザンザスは思わず薄く笑みを浮かべてしまった。
「まだ食い足りねーのか? ちょっと待ってろ」
舌を伸ばしてくるスクアーロを片手で制すと、ザンザスは皮の手袋に包まれた左手からケーキプレートを取り、その中身を舌で一掬いする。
そして、いい子で「待て」をしている銀髪の腹ぺこ犬の前に、その長く伸ばしたクリームまみれの舌をスッと差し出した。
舐めろ、と無言で示唆され、スクアーロはそれを濡れた瞳でうっとりと見つめる。
そのまま、引き寄せられるようにふらふらと顔を近付けると、自分も舌を出してチロチロとクリームを舐め始めた。
「ハッ、はぁっ……ん、はぁ……」
一息に舐め取らず、ちょっとずつちょっとずつ味わうように舌を這わせ、ザンザスの味が混ざった琥珀色のクリームを恍惚とした表情で口に含む。
大事に舐めていたクリームがなくなった後もひたすら舌の表面を舐め続けていたが、それでも飽き足らないのか、スクアーロは突き出されたままのザンザスの舌にはむっと食らいつき、口を窄め、ちゅぽちゅぽと音を立ててしゃぶり始めた。
「んむ、んむ、ん゛むっ……」
まだ微かに残るモカクリームの味を唾液と一緒に搾り取るように、スクアーロの唇が強弱をつけて舌を吸い上げる。
ザンザスは夢中で舌を貪るスクアーロの様子に内心ほくそえむと、眼前で揺れる銀の頭にそっと手を伸ばした。
スッと髪に固い五指を差し込み、絹のような銀糸をサラサラと梳いていく。
スクアーロはその感触に全身をゾクゾクとさせると、舌を咥えたまま至福の表情を浮かべた。
髪を優しく弄られるのがこの上なく好きなスクアーロに甘美なご馳走を与えてやりながら、ザンザスもまたそれをしばし楽しんだ。
やがて舌が疲れてきたのか、ザンザスの固い指が梳いていた銀糸を一房摘み、軽くクイ、クイと引っ張って口を離すよう無言で訴えてくる。
「……」
スクアーロは僅かな躊躇を見せるが、もう一度催促するように髪を引かれると名残惜しげに舌を解放し、ザンザスの唇を一舐めしてから顔を離した。
「……はぁ」
そのままシーツの上にぺたんと腰を下ろし、無意識に溜息を零す。
いくら愛する相手とはいえ、唾液の味を舌で感じて、咀嚼した物を口移しで食べさせられて、こんなにも体が熱くなってしまうなんて。
自分自身に戸惑うが体の奥から沸き上がる疼きは治まることを知らず、もっと、もっととザンザスを貪欲に欲してしまう。
「ザンザスぅ……」
疼く熱を持て余しながら潤んだ瞳を向け、甘えるような声でその名を呼ぶと、ザンザスはニヤリと口角を上げて膝立ちになった。
そしてスクアーロのすぐ眼前でカチャカチャとベルトを外し前を寛げ、既に硬くいきり立っているペニスを見せつける様に取り出す。
ビクビクと脈打ちながら誇らしげにそびえ立つその赤黒い怒張に、スクアーロの頬がぽぅっと桜色に染まった。
「コイツが食いたいんだろう?」
「あ゛……あぁっ……」
ソレに魅入られていると雄特有の淫臭匂い立つ先端を鼻先に突き付けられ、背筋にゾクゾクとした快感が駆け抜ける。
堪らず食らい付こうと口を伸ばすが、すんでのところでザンザスの片手に止められてしまった。
どうして、と視線を向ける間もなくそのままドンと両肩を押しやられ、シーツの上に仰向けに転がされる。
そこにすかさずザンザスの手が伸びてきて、手早くベルトを緩められ、両足から引き千切らんばかりの勢いで衣服をもぎ取られた。
「い、いきなり何だぁ!?」
急展開に戸惑いながらも、スクアーロは一先ず体を起こそうと試みる――が、片足を肩に担がれ、それは叶わない。
焦っていると、熱く硬いものが薄い尻肉の間に捩り入ってきて、その奥で密やかに息づく窄まりをツンと軽く突付いた。
「え゛、ちょ、まさか……」
「こっちに食わせてやる」
「そ、そんな急に無理だぁ! ザン……あ、止め……ヒッ!?」
あんな凶悪なモノを、碌に解してもいない尻穴に突き立てられては堪らない。
そう怯えるスクアーロの言葉には耳を貸さず、先走りを滲ませた先端で窄まりを何度か突付いてその中心を探り当てると、ザンザスはグッと腰を前に突き出した。
「う゛ぐ……うぁっ……」
「ん、んん……クッ……」
「あ゛、あ゛、あ゛、あ゛、あ゛っ……」
ザンザスの怒張がみちみちと狭い洞を押し分け、奥へ奥へと突き進んでいく。
限界ギリギリまで広げられた後孔はヒクヒクと戦慄き、声無き悲鳴を上げた。
「痛ってぇ……」
「どうだ? 美味いか?」
腰が完全に沈み込むと、吐息混じりの低い声でそう問われる。
「あっ…味わう、余裕なんか……ねぇよぉ……」
痛みに顔を顰め、ハッ、ハッと小刻みに呼吸しながら答えを返すと、その反応がザンザスの加虐心を煽ったのか、わざと腰をグリッと回してきた。
「ひぃっ!!」
大きく張ったエラの部分に腸壁を抉られ、ビクンと背が仰け反る。
すぐにクツクツと愉しそうに笑う声が聞こえてきて、スクアーロは屈辱感にギリッと奥歯を噛み締めた。
「しっかり感じてんじゃねーか」
「か、感じてなんかねぇ! 痛ぇからあんま動くなぁ!!」
「あ? カスザメがオレに命令してんじゃねーよ」
「い゛っ……あ゛、ぐぅっ!」
今度はグリッ、グリッと掻き回され、呻きながらも腰を跳ねさせてしまう。
ザンザスの言葉を否定しきれず必死に痛みと屈辱に耐えていると、不意にザンザスの手がロングTシャツに掛けられた。
「あ゛……」
「そんなに痛ぇっつーなら、痛みを紛らわせてやろう」
その言葉と共にシャツの裾が鎖骨辺りまで一気に捲り上げられ、胸の突起が外気に晒される。
「!? そんなぁっ……」
そこはまるで「弄って下さい」とでも主張するかのようにピンと勃ち上がっていて、スクアーロは羞恥にキュッと目を瞑ると、ザンザスの視線から逃れるように顔をふいっと横に背けた。
その隙にザンザスは脇へと手を伸ばしてケーキにトッピングされているコーヒービーンズを二粒摘むと、それをチョン、チョンとスクアーロの突起の上に一つずつセットする。
指とは違う感触につられてスクアーロが顔を正面に戻すと、ザンザスはニヤリと何かを企むような笑顔で両親指を立て、コーヒービーンズの上から胸の突起を指圧するようにグッと押した。
「い゛いっ!?」
グリグリグリグリグリ……
「い゛だっ! い゛だ、い゛だ、い゛だ、い゛だあぁぁぁっ!!」
ただ圧迫して押し潰すだけではなく、コーヒービーンズごと突起を捏ねくり回すように指を動かされ、スクアーロは生理的な涙を浮かべながら悲鳴にも似た叫びを上げる。
「あ゛ぎぃ! い゛で、止めッ……や、止めろぉおっ!!」
「さっきからうるせーな。人がせっかく痛みを分散させてやってるっつーのに」
「分散どころか倍痛ぇぞぉ!!」
「ならこっちはどうだ?」
「え゛? あ……ソコ……ぅんっ!!」
それまで突起を執拗に弄っていたザンザスの左手が、つと白い腹の上で揺れるペニスへと伸ばされた。
つぷ、と軽く指先を濡れた鈴口に食い込ませると、先程とはうって変わって甘い声がスクアーロの口から漏れる。
今度は二本の指をそれぞれ鈴口の両端に当てがい、そっと左右に割り広げて尿道口を僅かに開くと、空いているほうの右手の指で突起の上のコーヒービーンズを摘んだ。
途端、スクアーロはザンザスが何をしようとしているのか察して、サッと青ざめる。
「やっ、止めろぉ!! んな事したら余計痛ぇだろうがぁ!!」
「たった今感じてたじゃねーか」
「それとこれとは全然違……ひぎぃい!」
制止も虚しく、鈴口にコーヒービーンズの先をぢゅぷっと食い込まされ、スクアーロの言葉は途中で悲鳴に変わった。
そのままコーヒービーンズをうにゅうにゅと前後左右に動かされると、尿道口とその周辺が内側から刺激を受け、じわじわと染みていくような快感をスクアーロにもたらし始める。
浅く深く、弱く強くと挿入が繰り返されると痛みや恐怖が快感に転嫁されたのか、スクアーロの声は甘さを帯び、目の端と鈴口から快楽の涙を溢れさせていた。
「コーヒー豆なんかで感じやがって、このド淫乱が。このままコレだけでイかせてやろうか」
かつてない締め付けをペニスに感じ、ザンザスがコーヒービーンズを動かす手の動きを少しずつ激しくしていくと、スクアーロは子供がするみたいにイヤイヤと横に首を振る。
「や、やだぁっ……コーヒー豆、なんかで……ぁうっ……イきたくねぇっ……」
「チ×ポにコーヒー豆食わされて、てめーの卑しいケツ穴はさっきからキュッキュ、キュッキュ、オレのを締め付けてきてんぞ。オレのチ×ポよりコーヒー豆のほうがいいんじゃねーの?」
言葉で責められ、スクアーロの後孔はきゅわっと一際強くザンザスの怒張を締め付けた。
だがスクアーロは変わらず首を横に振り続けている。
「お前の、ほうが……あ゛、あ゛ぁっ……イイに、決まってるっ……お前を感じ、ながら……イきたい……お前の全部で、オレをイかせろよぉ!!」
スクアーロの切なげな叫び声が響き渡ると、ザンザスは手の動きをピタリと止めた。
ややあってザンザスは低く舌打ちすると、摘んでいたコーヒービーンズをピンと指で弾き、だらしなく開かれたスクアーロの口の中に放り込む。
「ん゛がぐぐっ!?」
「……ドカスが。なら豆じゃなくオレを感じながらイきやがれ」
「あ゛っ……あ゛ぁああ゛っ!!」
突然喉に飛び込んできた異物にスクアーロは目を白黒させるが、ザンザスが腰をストロークさせると瞳を蕩けさせ、歓喜の声を漏らし始めた。
「ハァ、ん゛あ゛ァっ……やっぱりコレじゃなきゃ、ダメだぁっ……コレじゃなきゃ、オレ……満足出来ねぇっ……」
「なら、たっぷり食らいな。てめーだけのメインディッシュをな」
腸壁を抉るようにペニスを突き立ててやると、スクアーロは揺さ振られながらももっとと強請るように自ら腰を揺らしてくる。
後孔は熱々のご馳走をハフハフと頬張るみたいに弛緩と収縮を繰り返していた。
「あ゛ひぃ! あ、あ゛! うめぇ……うめぇぞぉ!! ザンザスのお肉棒、最高だぁ!!」
「ったく、がっつきやがって。今スープも注いでやるからな。熱くても一滴残らずちゃんと飲めよ」
そう言うとザンザスはまるでスープ鍋を掻き混ぜるかのように、腰で円の軌跡を描いてスクアーロの中をぐちゅぐちゅに掻き回していく。
だがスクアーロはこれ以上待ちきれないのか、身を捩りながらせがんできた。
「あ゛、あァっ! 飲む、ちゃんと飲むからぁっ……早く奥にいっぱい、注いで……くれぇっ……」
「よし……なら今くれてやる。たっぷりとな」
ザンザスはスクアーロの片足を肩に担ぎ直すとそれを両手でしっかりと抱え込み、腰を打ち付けるようにしながら動きを徐々に加速させていった。
「ひぃんっ! あ゛、奥、すげ……ザンザスぅっ……
ぅああ゛っ!!」
「ハァッ、ハァッ……ぉうっ……ふ、んぅぅっ」
パン! パン! と乾いた音が室内に響く度に、ザンザスのメインディッシュの肉は柔らかく解れていき、ペニスに極上の締め付けをもたらす。
それが一際強まった瞬間、スクアーロは弓形にぐぅんと大きく背を仰け反らせ、自らのクリームで胸元を白くデコレーションしていった。
「あ゛、あァッ……も、い゛、い゛ぐぅっ……ァ……ぁん、あ゛あっ……ン、ふっ……あ゛、あ゛ぁあああっ!!」
「うぐっ! うぉお……くぅゥッッ!!」
腰の奥で燻っていた熱が急速にせり上がってくるのを感じ、奥深くまで届くようズブリとペニスを突き立てると、ザンザスは低く呻きながらドロドロに煮詰まった白いスープを一気に解き放った。
「はァぁ……あ゛づ……あ゛づいぃ……奥、に……ザ……の……熱い、の……い……ぱい……」
「うぅっ……く、んんっ……はぁぁ……」
腰を突き出し、最後の一滴までスクアーロの最奥に注ぎ込んでから、ぐぽっ……と一息にペニスを引き抜く。
するとポッカリ開いた後孔から、押さえるものを失った白濁スープがごぽりと音を立てて溢れ出てきた。
「ハッ……はぁっ……せっかく注いでやったのに、零しやがって……」
呆れた風に言いながら汗で湿ったシャツを脱ぎ捨てると、ザンザスは快楽の余韻にぐったりしているスクアーロの顔の上を跨ぐ。
そして、まだ固くて熱々の白濁まみれの肉棒を、荒げた息を吐く唇にねっとりと擦り付けた。
「次はちゃんと全部飲めよ」
「あ゛ぁ……ちゃんと、飲む……から……お前の……もっと……オレに、注いで……くれぇ……」
スクアーロはうっとりと笑みを浮かべると、まだまだ終わらぬ夜を予感しながらザンザス自身にそっと頬を摺り寄せた。


ペチャッ……ツツツ……
「ん……」
傷痕の残る頬とは逆の頬に、何かが触れる。
その感触に、沈んでいた意識が眠りの淵からゆっくりと浮上し始めた。
ペチャ……ツツー……
また、何かが触れる。
肌の上を滑る、ぬるっとした感触。
同時にほろ苦く甘い香りが鼻を掠め、まだ微睡む意識を更なる覚醒へと導いた。
(……何だ?)
目を伏せたまま鼻を凝らすと、感じる微香に昨夜の記憶が呼び覚まされる。
(この甘ったりぃ匂いは、昨夜カスザメと食ったケーキ……てことは……)
ぬめる感触と合わせて、頬にケーキのクリームを塗り付けられているのだと、ここでようやく己の今の状況を把握した。
(カスザメが……ガキみてぇなことしやがって)
くだらない悪戯で眠りを妨げられたと、ゴ、ゴ、ゴと擬音が聞こえてきそうな勢いでザンザスの内に怒りが沸き起こる。
(頭引っ掴んで顔面ケーキは当然として、後は……そうだな、全身クリームまみれにしてロウソク35本立ててやろうか。尿道に差したロウソクの火は最後まで残して……)
どう仕置きしてやろうか、考えを巡らせながらそのタイミングを見計らう。だが、
チョン……チョン、ツツー……
「ん?」
ペチャ、ツツー、ツツー……チョン、ツツ……
「!?」
スクアーロの指が何か文字を書くような動きをしていることに気付き、思わず怒りを忘れてそれに気を取られてしまった。
ペチャ、ツツー
(何だ? 何を書いてやがる……)
寝た振りをして様子を窺うが、どうにも見当がつかない。
ペチャッ、ツツ、ツツ、ツツー
(クソッ、途中からじゃ分からねぇ!)
ペチャ、ツゥーッ
ザンザスが焦れている間にスクアーロの指はくるんと円を描き、ふっと頬から離れていった。
一拍おいて、スクアーロにしては珍しく相当抑えに抑えた声が耳に聞こえてくる。
「よぉし……起きて鏡見たら、きっとビックリするぞぉ」
(何ぃ!?)
どうやら今のが最後の一文字だったらしい。
指をちゅぷ、としゃぶる音と共にベッドの上からスクアーロの重みが消えた。
スタッ……ぺた、ぺた、ぺた……
シャワーかトイレにでも行くのだろうか。
裸足の足音は次第に遠ざかり、ドアを開いて閉じる音が静かに響いた。
「……カスザメめ、何企んでやがる」
足音と気配が完全に絶えるのを待って、ザンザスはのそりと体を起こす。
そしてベッドを降りズンズンとクローゼットへと向かうと、スクアーロが自分の頬に何を書き綴ったのか確かめるべく、バッと扉を開けた。
逸る気持ちのままに、内側に貼られた鏡を覗き込む。
そこに映し出されていた言葉は――

『omA iT』

紅い眼が、大きく見開かれる。
そのままザンザスはしばらく言葉を失っていたが、やがて呆れたように盛大に溜息を吐き出した。
「ドカスが……鏡に映したら左右逆向きになるだろうが」
そう呟いてもう一度溜息を吐いた後、淡い琥珀色で綴られたそれを惜しげもなく指で拭い、口に運んだ。
「……やっぱり甘ぇ」
口の中でじわぁっと広がる甘みに、ザンザスは忌々しげに舌を打つ。
だがその顔には、スクアーロですら滅多に見ることのない穏やかで幸せそうな笑みが浮かんでいた。