「何かございましたら、フロントまでご連絡下さい。それでは失礼致します。ごゆっくりお寛ぎ下さいませ」 「おう、ありがとうなぁ」 深々と頭を下げて部屋を辞す仲居を見送り、足音が遠ざかるのを待ってから踵を返して奥へと戻る。 そして、敷き立ての布団に身を横たえるザンザスの隣に、寄り添うようにゴロリと寝転んだ。 「さっきの飯、旨かったなぁ……」 互いの浴衣越しに体温が伝わってくるのを感じながら独り言のように呟いて、腹を擦りつつ食べたばかりの夕食の味を反芻する。 地酒は言わずもがな、先付けから水物までどれも美味だったが、中でも特に気に入ったのは『寿司ケーキ』。 ザンザスがバースデーケーキ代わりに、わざわざ特注で頼んでくれていたものだった。 大葉を敷いた大皿の上に酢飯がホールケーキ状に盛られており、その縁を帆立のイクラ乗せが囲っていて。 中央にはタコや甘エビ、雲丹や解したズワイガニ、そしていろいろな刺身で形作られた花が所狭しと敷き詰められていた。 真鯛、真イカ、生サーモン……メインには好物のマグロ――本マグロがたっぷりと使われていたのが、また嬉しかった。 (だが……) 気に掛かっていることが、一つ。 「肉が少なかったけどよぉ、あれでよかったのかぁ?」 夕食のメニューは魚を中心とした懐石料理で、ザンザスの前のテーブルには肉も通常より多いと思われる量が並んでいたのだが、彼を満足させるだけのボリュームではなかった。 他の料理と合わせて空腹は満たされただろうが、食欲は満たされていないはず。 そう感じて尋ねてみると、ザンザスは別段怒った風もなく言葉を返してきた。 「ここは魚処だからな。いい肉が手に入りにくいらしい。可能な限り全部持ってこさせたが」 「そうかぁ……何かすまねぇなぁ」 今回の旅行はザンザスが全てセッティングしてくれたのだが、行き先に敢えて魚処を選んだということは、己よりこちらの好みを優先してくれたということだ。 誕生日にこうして二人きりでゆっくり過ごせるだけで十分満足なのだから、行き先くらい自分の好みで選んでくれてよかったのに。 有り難く嬉しい反面、ザンザスが満足していないと思うと手放しでは喜べず無意識に俯くと、間髪入れずにゴツンと額をぶつけられた。 「っでぇ!! いきなり何す……!?」 悪態をつきながら反射的に閉じてしまった目を開けると、紅い瞳と整った顔が予想よりも近くにあって、思わず声と一緒に息を呑む。 「謝ってんじゃねぇよ、カスザメ。こういう時くらい素直に施されてろ」 視線を奪われたまま、かぁっと昇ってくる頬の熱を感じていると、珍しく直球で優しい言葉と共に白く整然とした歯がカプ、と鼻先に噛み付いてきた。 「ん゛ッ……」 甘い痛みにビクッと身を竦ませている隙に、そのまま降りてきた少し硬めの唇が自分のそれに重ねられる。 そしてこちらが受け入れようとするのも待たず、性急に口腔内へと押し入ってきた。 「ふ……ぅむ、んんっ……」 捩じ込まれたウイスキー味の舌にぐちゅぐちゅと内側の粘膜を弄られ、頬だけでなく全身の熱が一気に上昇してくる。 舌の根元を絡め取られてキツく吸われると、そこから酒気が伝わってくるかのように脳が恍惚とした感覚に包まれていった。 「ン゛ンぅ……んく……っはぁ……」 弥が上にも高まっていく情欲。 貪られるままただ口を開き、その端から僅かな息と涎を垂らして火照る頬を濡らしていく。 だが、執拗に唾液を掻き混ぜていた肉厚の舌は不意にその動きを止め、こちらの期待を裏切るように口内から引き去ってしまった。 「……ザンザスぅ」 熱冷めやらぬぼんやりとした眼差しで、ゆっくりと離れていく唇を求めるように追うと、独り言のような呟きがボソッとそこから零される。 「生臭ぇ」 「!? ……ククッ」 魚をあまり好まない彼らしいその言い分に、何だか腹が立つより笑えてきて。 ムードも忘れてつい噴出してしまった。 「何が可笑しい」 「お前、本当に魚好きじゃねぇんだなぁと思ってなぁ」 お預けを食らったというのに、クツクツと喉を震わせて笑う自分に向けられた訝しげな視線。 それを受け止めながら答えると、ザンザスの頭に両手を伸ばし抱き寄せる。 「たっぷり魚食った後なんだからしょうがねぇだろぉ? 気に入らねぇなら、お前がその手で別の味に変えやがれぇ」 そうして耳に掛かる黒髪を指で後ろに流しつつ口を寄せて囁いて、今度は自分から唇をザンザスのそれへと少し強めに押し付けた。 互いの欲が満たされるまで、何度も貪り合い続け。 どちらのものともつかぬ汗や体液でべたつく体を、部屋の外にある露天風呂で洗い流して床に戻る頃には、夜明け近くになっていた。 「お前の誕生日は肉処に旅行して、旨い肉たらふく食わせてやるからなぁ」 「一応、期待しておいてやる。満足できねぇ時はまたてめぇを食ってやるから覚悟しておけ」 「満足してもしなくても、食う気だろぉ?」 「フン……てめぇより上等な肉なんて、他にねぇからな」 「褒め言葉として受け取っておくぜぇ」 気怠さの残る裸の身をぴったりと寄せ合って、他愛の無い言葉を交わす。 ザンザスと過ごす、こんなゆったりとしたひと時が妙に嬉しくて幸せで、結構好きだったりする。 ややあって、しばし交わしていた会話がふと途切れ、二人の間に沈黙が流れた。 何となく無言のまま互いの体を抱き直して、目を閉じる。 温もり、肌の感触、匂い、呼吸、そして心の音。 全身に感じる彼の全てが子守唄のように心地良い。 「ザンザス……」 「ん?」 「ありがとうなぁ……今年も最高の誕生日だったぜぇ」 微睡む意識の中で愛しい人の名を呼び、感謝の気持ちを唇に乗せてその頬に贈る。 あともう一言。 意識が完全に落ちる前に言おうとした想いは、お返しとばかりに返されたキスと一緒に先に告げられてしまった。 唇から入り込んできたザンザスの想いで胸がいっぱいに満たされて、その温かさにホッとしたような眠気の波が急激に押し寄せてくる。 仕方ねぇ。目が覚めたら言ってやろう。 オレも、愛してるって。 そう決めると、自分だけしか知らない優しい笑みに見守られながら、そのままゆっくりと深い眠りの淵へと誘われた。 |
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